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慶應医学部と北里柴三郎博士

 常に日本医学会をリードして来た慶應義塾大学医学部設立と発展は、医学に生涯を捧げた多くの先達の偉業によるものであるが、北里柴三郎博士の存在はあまりにも大きい。

早稲田大学医学部が現在存在せずに、慶應義塾大学医学部が存在するのは、北里柴三郎博士と福沢諭吉先生の関係があったからと思う。何故なら同じ時期に早稲田にも慶應にも医学講習場が存在し、いずれも経営上の理由により閉鎖しているからである。

近代日本の発展は、西洋医学の国内への普及が必要条件と、大隈重信(早稲田大学の創設者)も福沢も考えていたが、当時、研究や教育に莫大な資金を必要とする上、教育者の確保も容易ではなく、現在ほど西洋医学の重要性も認識されていなかった時代である。大正時代の裁判記録を見ても、修験者が病気治しに活躍していたことがわかる。

世界を恐怖に陥れたペストの病原菌を発見したり、血清療法を発見し、当時死の病であった破傷風の血清療法などで海外で活躍していた北里柴三郎は、日本に戻っても活躍の場がなかった。「この男の働く場を用意しなければ日本の損失である」と、北里に研究所を用意して、経済的に支援したのか福沢である。

北里柴三郎は、福沢が亡くなった後、自ら願い出て、慶應義塾大学の初代医学部長を無給で受けたのである。経済的にも北里一門が全面支援し、福沢への報恩を果たした。

こんな人間ドラマがあったからこそ、慶應義塾大学には、日本医学界をリードする医学部がある。

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