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東京慈恵会医科大学を知る

今年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」が人気のようです。私は東京は駒込の出身なので、隣の西ヶ原は子供の頃から馴染みで、現在も賑わう霜降り商店街や染井商店街は生活の一部でもありました。

埼玉県で仕事をしていた時期も長く、最初の予備校は大宮にありましたから、深谷・熊谷との関わりもありました。深谷・熊谷出身の実業家は、案外多く、埼玉発祥の有名外食チェーンにも深谷・熊谷発は結構多いです。

そんな経歴のためもあり、渋沢栄一翁は子供の頃から身近な偉人であり、埼玉県出身の偉人というと、渋沢栄一翁と塙保己一と幼い頃から聞かされてきました。

ところで今や、慶應医学部に匹敵するほど難易度が高くなってしまった東京慈恵会医科大学医学部ですが、渋沢栄一翁との関わりが深いことはご存知でしょうか?

東京慈恵会医科大学の前身は明治40年に設立された、「社団法人東京慈恵会」であり、現在の病院は当時「東京慈恵会医院」という名称でした。時代が明治新政府に変わり、世の中の体制も皇室と貴族中心に変わっていた当時にあって、東京慈恵会は、徳川15代将軍徳川慶喜の後の徳川16代宗家徳川家達(いえさと)を会長、副会長に渋沢栄一を迎えることで、バラバラになる可能性のあった日本の体制の結び役を担ったのです。この大仕事の背景には渋沢夫人と御息女たちが東京慈恵会の熱烈な支援者であったことも知られています。

こうした歴史的背景もあり、現在のような師弟関係の強い東京慈恵会医科大学があるのではないでしょうか。

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